(大変失礼ですが)素晴らしき変人に出会いました。多摩市立愛和小学校の松田校長です。
これまでの日本の教育を「完結性と完成度が高い」と評価しつつも、新たな時代に対応していかなければならないと、児童1人に1台のタブレット端末を配備し、その活用に取り組まれている方です。信念を持って教育委員会と戦う姿に、久々に大きな衝撃を受けました。(松田校長の記事がこちらにあります。)
この愛和小学校では、授業において様々な形でタブレット端末を活用しています。例えば、下の写真のように、地図帳と比較しながら新宿駅周辺をGoogle Earthで調べてみたり、
1年生からアニメーションのプログラム(さすがにGUIです)を組んだりしています。
「遊んでばっかりになるんじゃないか」と心配される方も多いと思いますが、しっかりとルールを定め、子どもたちも守っているそうです。
さて、愛和小は全国的に注目されており、最新機器や最新アプリを用いて授業を行う先駆性ばかりに目が行きがちですが、本質はそこではないと思います。教育の根源的な意味が問われているのだと思います。
松田校長がたびたび引用するのは、イギリスの教育者マイケル・バーバーの「40年ギャップ説」です。
「子どもへの教育は、20年後の未来を見据えて行わなければならない。一方、その親が教育を受けたのは20年前であり、当時のモノサシで教育を図ろうとする。この40年の差が、教育改革の弊害となる。」という主張です。
つまり、教育の本質とは、20年後の未来を生きる子どもたちに物事を教えること。とんでもない速さで変化していく時代に、教育が変わらないままで良いわけがありません。
私は想像力が貧しいので大した未来は思い描けませんが、20年後も人々は紙にペンでメモを取るのでしょうか。店で買い物カゴに商品を入れながら、会計はいくらだろうと暗算するのでしょうか。
戦後、日本の教育水準を保ってきた方法は既に役割を終えていて、新しいやり方を見出していかなければならない。その中に、ICTが必須なのは言うまでもありません。
単に最新技術を導入した事例を学んだだけでなく、様々な気づきを頂いた非常に良い研修となりました。ICT化の推進は私の持論でもありますが、教育のみならず他の行政分野においても、導入が目的なのではなく、目的の達成の有効な手段として捉えなければならないと、あらためて心していきます。