岸壁の母

西崎つばさの活動

舞鶴2日目。引揚記念館と赤れんがパークをご案内頂きました。

それぞれ、地域資源を活かす例としての視察でしたが、軍港としての歴史をもつ舞鶴港を学ぶことは、日本人として非常に重要だと考えさせられました。

さて、引揚記念館。
舞鶴港は、戦前は海軍、戦後は自衛隊の港としての役割を果たしてきましたが、もう一つ、終戦後に諸国から日本人が戻ってくるための引揚港として、昭和20年から13年間にわたって重要な玄関口となりました。「岸壁の母」の舞台にもなっているのですが、恥ずかしながら私は「岸壁の母」そのものを知りませんでした(^_^;)

舞鶴港に戻ってきた引揚者の中心は、シベリアなど旧ソ連の方々ですが、他国と比べ、日ソの関係改善の遅れや米ソの交渉難航などにより、なかなか帰国が進みませんでした。もちろん、そういった人々がソ連で安定的に暮らしていた訳ではなく、死と隣り合わせの過酷な強制労働に就かされていたのです。

これは、舞鶴港の歴史でもありますが、太平洋戦争のもう一つの側面であるとも言え、次世代に語り継いでいかなければならない事だと思います。

もう少し行政視察っぽい観点から報告すると、全国からの寄付を受けて開館したこの記念館ですが、一時期の来場者数はピーク時から半減し、危機感をもった市は指定管理者制から直営に切り替え。意外な流れですね。

その後、施設の改修と同時に、ユネスコの世界記憶遺産登録を目指すことに。平成27年には見事、登録を勝ち取り、来場者数も回復しつつあるとの事です。来年春には、さらに第2期のリニューアルを控えており、今後の地方創生拠点としての役割も期待されています。

後半は、海軍時代の赤レンガ倉庫の活用事例を学びました。国の重要文化財にも指定されている数々の建物ですが、貸しホールや、結婚式もできるような活用がされており、舞鶴を象徴するものとして扱われています。↑爆弾の保管庫として使われていた空間。
↓「第三水雷庫」の文字が。

いずれも新たに作り出したものではなく、もともとある資源をどう活用するかで、地方創生が進められるという大事な視点に基いていると思います。

目黒は創生が急がれる地方とは言えませんが、既にあるものの魅力を再発見して上手く発信するという考え方は、じゅうぶんに参考になるはずです。甲府の時にも感じましたが、それが出来るのは、とことん地元を愛している人間だけなのかも知れません。